代表取締役 松股善治
【経歴】
昭和39年(1964年)9月
福岡県北九州市生まれ
※小倉南区の徳力に今でも実家があります。
今でこそ商業施設や病院や銀行などがありますが、私の幼少時は田舎でした。
昭和58年(1983年)3月
福岡県立戸畑高校 卒業
※OBには前福岡県知事の麻生渡氏がいます。
昭和63年(1988年)3月
北九州市立大学 卒業
※大学では英文学を専攻しており、英語教師になることを目指していましたが、教職過程の単位を落としたことで挫折。
民間企業への就活の際、旅行会社と住宅会社を中心に応募。
でも内定が取れたのは住宅会社だけでした(笑)
結局、大学で勉強したことは、就職後ほとんど役に立っていません(汗)
昭和63年(1988年)4月
大手マンションデベロッパー
株式会社大京に入社
横浜支店営業部 配属
※ライオンズマンションで有名な会社です。
私の入社当時はオーストラリアでも不動産事業をしていたため、当時得意だった英語を活かせると思ってその部署への配属を希望したものの、地方の無名大学出身だからか会社からは全く相手にされず横浜支店の営業部へ。
当時の同社は、10年以上にわたって分譲マンション供給戸数が全国でトップでした。
営業部は常に大きなノルマを課せられ、非常に仕事が厳しく、業界内では有名でした。
私も早朝から夜遅くまで営業活動をしていましたが、住宅会社の営業マンとしての実務経験が現在の業務において大いに役立っています。
平成2年(1990年)11月
同社 退職
※2年8ヶ月在職しましたが、Uターン転職希望から退職。
在職時の私の営業成績は可もなく不可もなく、中程度の売上成績でした。
3ヶ月毎に営業成績優秀者への表彰がありましたが、表彰されたのは2回だけです(汗)
平成2年(1990年)12月
新栄住宅株式会社に入社
住宅ローン業務課 配属
※地元福岡では「アンピールマンション」で有名な会社です。
ここで住宅ローン業務の担当者になり、私の膨大な実務経験が蓄積されました。
ただし前職の大手上場企業の営業職から中小企業の内勤事務職に変わったため、給料は激減しましたが(涙)
同社の分譲マンション事業は、一時期数年にわたって県内での供給戸数がトップだったこともあり、私も非常に多くの件数のローン業務に関わってきました。
その結果、在職時通算で6,000件以上の住宅ローン業務に携わりました。
中にはローンの審査が難航するケースもあり、そこで審査対策のノウハウを自ら開拓しました。
また同社は新築マンション分譲だけではなく、注文住宅や中古住宅売買の事業もしていたので、様々な種別の住宅ローン業務を、この会社で習得しました。
在職時、私の最後の大仕事は、香椎浜のアイランドシティにそびえ立つタワーマンションに関わる業務でした。
平成22年(2010年)3月
同社 退職
※以前から独立願望があった私は色々と考えて悩んだ結果、退職を決意した次第です。
なお在職時、私の最後の役職は部長職でした。
(持っていた名刺は退職時に全部会社に返却しましたが、画像だけ残っていました)
(ロゴや社名の字体を消していますが、間違いなく同社のものです)
平成22年(2010年)7月
株式会社福岡MPオフィスを設立
※長年の住宅ローン業務の経験を活かせる仕事として、当社を設立しました。
設立当時、住宅ローン専門でコンサルタント業務をする会社は関東や名古屋地区ではすでにありましたが、九州地区にはまったくありませんでした。
自分がそのパイオニアになったことで、住宅購入希望者や住宅会社の方のお役に立てるよう、日々頑張っています!
【近年の実績(年間)】
お問合せ件数: 約250件
内訳:面談コンサルタント件数 約60件
事務サポート件数 約100件
お問合せのみ 約90件
【保有資格】
宅地建物取引士(旧名称:宅地建物取引主任者)
※私なりに猛勉強をして取得しました。
不動産売買の契約時は、宅地建物取引士による重要事項説明が不可欠です。
私は住宅会社に在職中、数多くの契約で重要事項説明を行なってきました。
時には重要事項説明書の作成に関わったこともあります。
住宅ローン業務以外のその経験も、当社設立後は大いに役立つこととなりました。
当社設立前から住宅ローンアドバイザーの資格も持っていました。
ただし業務において役立つことがまったくなかったため、平成28年4月以降更新していません。
【好きなスポーツ】
以前はジムに通うこともありましたが、今はゴルフしかしていません。
それも最近は業務に追われてなかなか行けない状況です(涙)。
観戦するものとしては、プロ野球、高校野球、サッカー、大相撲などが好きです。
野球もサッカーも地元チームのファンです。
【趣味】
楽器演奏
※学生時代はロックバンドの一員として、コンテスト応募やイベント出演などに熱中(笑)
1回だけですが、故ジョニー大倉氏のバックバンドをつとめたことがあり、音楽業界のプロの厳しさを大いに感じました。
今でも時間がある時は趣味で音楽活動をしています。
現在、バンドではベースを担当。
また地元のカフェやライブハウスで、アコースティックギターやウクレレで弾き語りをする時もあります。